
1945年8月6日午前8時15分広島、晴れ。一瞬の閃光。
誰にも生きる権利は与えられている。戦いの場でもないごくありふれた平和な日常生活の場に突然、最も残酷な死が訪れる。そして、罪もない多くの子供たちまでが誰にも看取られずに死んだ。改めて激しい悲しみと怒りがこみあげてきます。
断じて、広島・長崎に起きた原子爆弾投下の暴挙を許すことは出来ません。
デザインはいつもポジティブで、清く、正しく、美しくあることが宿命であると思ってやってきました。
しかし、今回このポスターをデザインするにあたり、今まで何も出来なかった自分自身の感情表現として、 私は“HIROSHIMA APPEALS 2007”では“悲しみ”と“怒り”を率直に訴えようと思いました。
この黒い丸は、叫ぶことさえ出来ずに、死んでいった人たちの悲しみと怒りのシンボルです。恥ずべき人類最大の汚点であり、黒こげの日の丸であり、ひいては絶望の地球の姿に他なりません。
NO MORE HIROSHIMA! NO MORE NAGASAKI!
あれから60年もたったのに、何故戦争は終わらないのですか?
誰にも生きる権利は与えられている。戦いの場でもないごくありふれた平和な日常生活の場に突然、最も残酷な死が訪れる。そして、罪もない多くの子供たちまでが誰にも看取られずに死んだ。改めて激しい悲しみと怒りがこみあげてきます。
断じて、広島・長崎に起きた原子爆弾投下の暴挙を許すことは出来ません。
デザインはいつもポジティブで、清く、正しく、美しくあることが宿命であると思ってやってきました。
しかし、今回このポスターをデザインするにあたり、今まで何も出来なかった自分自身の感情表現として、 私は“HIROSHIMA APPEALS 2007”では“悲しみ”と“怒り”を率直に訴えようと思いました。
この黒い丸は、叫ぶことさえ出来ずに、死んでいった人たちの悲しみと怒りのシンボルです。恥ずべき人類最大の汚点であり、黒こげの日の丸であり、ひいては絶望の地球の姿に他なりません。
NO MORE HIROSHIMA! NO MORE NAGASAKI!
あれから60年もたったのに、何故戦争は終わらないのですか?
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